【映画】「普通の人々」

[★★☆☆☆]

普通に異常な僕ら。

普通の人々 [DVD]
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あらすじ:

名優ロバート・レッドフォードの監督デビュー作にして、1980年度アカデミー賞4部門(作品・監督・助演男優・脚色賞)に輝いた傑作ヒューマン・ドラマ。ごく普通の中流家庭であるジャレット一家。お互いに尊重し合い、家族4人で幸せな毎日を送っていた彼らに、長男の事故死と次男の自殺未遂という悲劇が降りかかる。そしてこの出来事をきっかけに、信頼しあっていたはずの家族の歯車が少しずつ狂いはじめるのだった……。(eiga.comより)

映画情報:

原題:Ordinary People
監督:ロバート・レッドフォード
製作:ロナルド・L・シュワリー
原作:ジュディス・ゲスト
音楽:マービン・ハムリッシュ
製作国:1980年アメリカ映画
上映時間:2時間4分
キャスト:メアリー・タイラー・ムーアドナルド・サザーランド、ジャド・ハーシュ、ティモシー・ハットン、ダイナ・マノフ、フレデリック・レーン、ベイジル・ホフマン、マリクレア・コステロ、M・エメット・ウォルシュ、エリザベス・マクガバン、ジェームズ・B・シッキング、アダム・ボールドウィン



感想:


「家族」とは突き詰めれば「個人」の集合でしかない。


そして個人とは自分自身の幸福を追求する存在だし、それがあるべき姿だ。人によってその「個人の幸せ」と「家族の幸せ」が同じものを意味することもあれば、相反してしまうこともある。「家族」が成立しているためには、「個人の幸せ」と「家族の幸せ」に少なくとも共通している部分がなければいけないのだと思う。


この映画の主人公たちであるジャレット一家は、アメリカのごくごく「普通」の中流家庭として描かれている。とはいえ、広い芝生の庭がついた家で暮らすコンラッド青年とその両親は、日本の感覚でいえば富裕層にも見えるだろう。少なくとも、ジャレット家は経済的・物質的には恵まれた家庭だ。しかし、コンラッド青年(ティモシー・ハットン)とその父カルビン(ドナルド・サザーランド)、そして母のベス(メアリー・タイラー・ムーア)が一堂に会する朝食のシーンはそこからは想像できないほど寒々しい。ふさぎがちなコンラッド、そんな息子に過剰に気を使う父、無関心な母、このシーンではこの映画において一定して存在し続ける不協和音がすでに存在している。


その不穏な空気の原因は何なのか。それは、この席でともに朝食を食べるはずだった家族の一員の欠如だ。コンラッドの兄は数年前、ヨット事故によって命を落とした。この兄の死がコンラッドと父と母、それぞれに重くのしかかり、家族はそれまでと異なるものに変容してしまったのだ。家族は他の人間集団と同じように、互いの絶妙なバランスの上で実は成り立っているものかもしれない。なおかつ、ジャレット家のバランスを支えているのはこの兄に他ならなかったのであり、その兄を失った家族の動揺は計り知れない。


家族は兄に取り残されたようなものであり、そのなかでももっとも大きな傷を負ったのが高校生であるコンラッドである。彼は十代特有の精神が不安定な様子を隠しきることができない。彼の背負ってるものは確かに大きい。彼がふさぎこむ理由はもっともだし、それは理解できるのだけれど、真に同情できるほどのものではないし、見る者を苛立たせる。彼がまわりの環境に動揺し、一瞬にして自分の殻の中に閉じこもる姿はあまりに痛々しかった。


コンラッドを殻に閉じ込めているのは他でもない、その両親だ。父カルビンはコンラッドを心配するそぶりを見せているが、それは家族の中身ではなく、家族という形そのものを守ろうとしているにすぎない。それは、世間体や外見ばかりを気にする母親ベスとは本質的に同じものだ。敏感なコンラッドにはそれがよく伝わってしまうからこそ、彼はどんどん自分の殻に閉じこもってしまう。彼に必要なのは、いや、彼らに必要なのは自分の心情を正直に吐露する場所だった。本来は家族という場がその機能を果たすべきなのだが、彼らにはそれができなかったのだ。


コンラッドを救うのは家族の存在ではなく、精神科医のバーガー(ジャド・ハーシュ)や学校の女の子の存在である。おそらく、いや確実に童貞であるコンラッド青年が、女の子に話しかけられて元気を取り戻す姿は紛れもない「普通」の青年であり、その姿に初めて私はほっとすると同時に、やはり男の子を救うのは女の子しかいないことを思い知った。しかし、この映画で描かれる女性は総じてとらえどころがない。それが演出上あえてのものかはわからないが、映画が父と子二人の抱擁で終わることからわかるように、この映画は終始男性視点で描かれたもののように感じた。


結局、父カルビンも息子のコンラッドと同じように、問題に立ち向かうことなく自己完結してしまう。それは誰も望んでいない行動であり、それはこの映画を観る私にとってもそうであった。確かにコンラッドの母はよき母とも、よき妻ともいえなかったかもしれない。だが、この父も、よき父でも、よき夫ではなかったであろう。ジャレット家の問題は、コンラッドにあるのでも、父にでも、母にでも、ましてや兄にあるでもない。それは家族そのものに存在していた。外見や形にばかり目がいき、本質から目を背けてしまうことは、どんな家族にも多かれ少なかれあることではあるが、そこから逃げることは家族の崩壊を意味してしまう。その意味で、この映画は普遍的な家族の形とその儚さについて描かれた、紛れもなく「普通の家族」を映し出したものだった。


家族という「殻」は脆く、たやすく崩壊してしまう。だからこそ、家族が互いに正直に心を打ち明けあい、「個人の幸せ」と「家族の幸せ」を近づけていく努力をし続けることが必要なのではないか。この映画は心に残るにはあまりに地味だが、反面教師として学ぶべき教訓は多い。



余談。先日見た、アン・ハサウェイ主演、ジョナサン・デミ監督の「レイチェルの結婚」も同様のテーマをモチーフにした作品であり、併せて見るとまた面白いかもしれません。